世界と僕

心という海を、言葉というサーフボードに乗って日々を生きてるんです。素直になるために。

誘惑

誘惑


「良い車。そんなものより良いPCが欲しい。同じマシーンならね」
と僕が言うと、彼女は、
「車があれば、どこでもいけるじゃないの。お家にずっといるなんてそんなの嫌。あちこち移動したいもの。」
と反論した。
「君は分かってない。物理的移動なんかで空間的移動なんかで変わる景色を見て何が楽しい?そんなのは見慣れた風景だ」
彼女は僕がそう言うと口をつぐんでしまった。
 こうやって僕は何人もの女の子の好意を殺していった。事務員がクリアファイルに書類を差し込むような自然な流れで。
その気になれば一晩きりの快楽だって得られただろうが、
その思惑も27歳の5月で止めることにした。電源が立ち上がった瞬間の高揚で僕の旅は始まる。インターネットという世界へお気に入りのPCで出かけるのだ。
「キュートなマウスでドライブしよう!あなたのエコから世界は広がる」
しばらくぶりに電車に乗った僕が電車の中吊り広告で見たキャッチコピーがこれだった。
そこにはハイスペックでスタイリッシュでスリムなノートPCの画像があり、女性受けしそうな印象だった。
エコロジーっていうやつも案外捨てたものじゃない。身近なのかもしれない。そう思った。
僕の言いたかったことを代弁しているのを胸の内側に感じた。
しかし、それが大衆を煽動する言葉として耳に入ってしまうと、反発し拒絶したくなるものだ。
広告との距離感は難しすぎるから、僕はあまり広告を見ないようにしている。
現代ではいたるところに広告がある。それは夜の都会の歓楽街のように誘惑する力を持っている。
自宅へ帰ると僕はPCの電源を入れた。ブラウザを開くと、クレジットカードの広告が右端に表示された。
ここもまた歓楽街であることに気づいたのだった。

 

一般性と独自性

一般性と独自性の間には大きな壁が立っている。

その壁にはドアがいくつもついている。

とても重いドアもあれば、ドアがあったことすら感じない超高速で開く自動ドアのようなドアもある。

あわよくば、その壁に穴を空けて新しいドアを作らなくてはいけないこともある。恐る恐るだが。

けれども、その壁が隔てる2つの世界を自由に行き来することができるようになることが、僕の創作という営為の意義なのだ。

他者に理解できない独自性は死に似ているが、理解されようとして一般性の中に身を浸し続けるのも僕にとっては死なのだ。