世界と僕

心という海を、言葉というサーフボードに乗って日々を生きてるんです。素直になるために。

宇宙にキス

鎖でしばった柔らかな脳みそを
道端に転がして遊んでる
あたたかな優しさは傷を覆うだけだろう
背中を刺す太陽光 誰も責めはしない

女神の形したサボテンのトゲ
私のカラダに植え付けた
むしりとった感情のように
どこかなじまないね

「愛してる」「会いたい」
「愛してる」「会いたい」
繰り返される神の恋愛実験
化学反応の声響き 世界中にこだまする星

プールの隅っこに浮いている心臓と
ピンクのモミジ模様のワンピース
さわがしい道徳は欝を加速させる
顔をなぐるあの雪を 誰も咎めはしない  

あの世のさらに向こう側の景色を
知りたくて知りたくて家を出た
花粉まぶしたトーストを食べて
裏庭のスペースシャトル乗り込んだ

「愛してる」「会いたい」
「愛してる」「会いたい」
繰り返される神の恋愛実験
化学反応の声響き 世界中にこだまする星

ララーラーラーラー ダッダーン
なにもかも忘れて
ララーラーラーラー ダッダーン
虹色の宇宙にキスしたい

平常心を保つコツ

 

 

 

 高慢な人というのはどこにでもいるものだ。

親しくもない人に「おまえ」呼ばわりされて一瞬、腹が立った。

しかし、すぐそのあとで、自問自答して出た結論は、

「上下左右ではなく、相手の心の在り方を観察すればいいんだ」

ということだった。

つまり、「おまえ」と言われて「下に見られてる自分」というものが姿を現したわけで、それは裏を返せば、「他人を上下で判断している自分」がいたことに他ならない。

 感情の起伏はあっても、もちろん程度の差はあるのかもしれないが、喜怒哀楽に優劣も上下も無いはずなのだ。

 人間には、何かと優劣や上下をつけて分類する癖があるということに気づいた。そして、偉そうな人や嫉妬している人や冷淡な人・・・などなど、さまざまな人間がいるが、そういうときは、相手の感情観察をするとこちらの感情がかき乱されることを防止できる。

 

グループを作りました。

活字創作の森

活字で創作するのが好きな人のためのグループです。

また、創作はしないけど鑑賞するのが好き、という方も大歓迎です。

鑑賞者がいてこその創作という面もありますので。

ぜひぜひ、気軽にグループに参加してください。

誘惑

誘惑


「良い車。そんなものより良いPCが欲しい。同じマシーンならね」
と僕が言うと、彼女は、
「車があれば、どこでもいけるじゃないの。お家にずっといるなんてそんなの嫌。あちこち移動したいもの。」
と反論した。
「君は分かってない。物理的移動なんかで空間的移動なんかで変わる景色を見て何が楽しい?そんなのは見慣れた風景だ」
彼女は僕がそう言うと口をつぐんでしまった。
 こうやって僕は何人もの女の子の好意を殺していった。事務員がクリアファイルに書類を差し込むような自然な流れで。
その気になれば一晩きりの快楽だって得られただろうが、
その思惑も27歳の5月で止めることにした。電源が立ち上がった瞬間の高揚で僕の旅は始まる。インターネットという世界へお気に入りのPCで出かけるのだ。
「キュートなマウスでドライブしよう!あなたのエコから世界は広がる」
しばらくぶりに電車に乗った僕が電車の中吊り広告で見たキャッチコピーがこれだった。
そこにはハイスペックでスタイリッシュでスリムなノートPCの画像があり、女性受けしそうな印象だった。
エコロジーっていうやつも案外捨てたものじゃない。身近なのかもしれない。そう思った。
僕の言いたかったことを代弁しているのを胸の内側に感じた。
しかし、それが大衆を煽動する言葉として耳に入ってしまうと、反発し拒絶したくなるものだ。
広告との距離感は難しすぎるから、僕はあまり広告を見ないようにしている。
現代ではいたるところに広告がある。それは夜の都会の歓楽街のように誘惑する力を持っている。
自宅へ帰ると僕はPCの電源を入れた。ブラウザを開くと、クレジットカードの広告が右端に表示された。
ここもまた歓楽街であることに気づいたのだった。