世界と僕

心という海を、言葉というサーフボードに乗って日々を生きてるんです。素直になるために。

 

 空中に水滴が見えるのではないかというくらい湿気の多い日だった。海沿いにある一軒の家から少女は夜の砂浜を歩いて波打ち際に立たずんで海を見ていた。

「お父さん、どうして私に何も言わないでいなくなっちゃったの」

少女は頭の中で、寂しさと空虚さがうずまく言葉を並び替えた。

うまく口にできなくなってしまったのだ。

人間の誰しもがそうだが、声にして口に出すということはそれなりの受け手に対する信頼や、濁流で堤防が決壊するほどの強いエネルギーを要するものだ。

今の少女には、自分の気持ちを受け取ってくれるものは何もなかった。ただ、この夜の静けさのなかで、海風に身を預けていると、風の力で意識が和らぐことだけは分かっていたので、毎晩、黒い水面の彼方を見つめ、朝まで過ごすのだった。

その晩、同じように砂の上で8月の熱気に包まれていると、妙なことが起こった。たまたまその日は満月だったのだが、沖合いのゆるやかな波間を照らしていた月の明かりが、徐々に広がり始めて、海全体がその1点を中心に拡大し始めたのだった。初めは沖の方から、次第に、少女のいる手前までその白い光が到達した。そして、光は吸い込まれるようにして足元から少女に入りこんだ。

その瞬間に少女は気を失った。

砂の上に横たわった少女は薄い金色に光っており、額の部分には赤い円がくっきりと浮かんでいた。そして、その赤い円からは、空中にたくさんの煙のような細長いものとなって何本も空へと飛び出ていった。

 

 東京のある街ではある男がボロアパートの中でビールを飲んでいた。ごろごろと転がった空き缶がいくつもあり、その空き缶はどれもその男の手で潰されており、アルミでできた彫刻がいくつも散らばっているかのようだった。

「ぜんぜん、当たりやしない」

男は全財産を競馬に投げ打ってしまい、途方に暮れて酒に身を預けていたのだった。

「もう終わりだ。」

仕事もすぐに辞めてしまうため、男には今後の生活費がまったくなくなってしまっていた。一攫千金を夢見て競馬場に行き、大穴に賭け最後の資金を投資したのだが、順当なオッズ通りの結果となり、あえなく終わってしまったのだ。

死ぬしかない。それしか頭にはなかった。

 男が布団のなかで呆然と窓際に目を移した瞬間だった。

窓がガラッと突如開いて、男の体を光が次々と直撃したのだった。

雷に打たれたように体がしびれたが、意識はある。

ふと、開いた窓から1枚の紙きれのようなものが風で舞い込んできた。

宝くじの紙だった。だれかが落としたか捨てたかしたものだろう。

男はその紙を拾った瞬間、田舎へ置き去りにしてきた娘の顔が胸をよぎった。

翌朝起きると、男は宝くじ売り場へ行き、その紙を売店の女性店員に見せた。

40歳後半くらいの女性だった。

ポケットから取り出した折れ曲がった宝くじの券を店員は広げて番号を確認した。

「お客さん、これ、当たってますよ。1等ですよ。」

男は今起こされたとでも言わんばかりに目を開いた。

売店の女性は自分のことのように喜びながら満面の笑顔を浮かべていた。 

そのあとも、いろいろと宝くじの当選確率の話やら、「私は中年の女神かしら」と冗談を言ったり、うんちくやら、身の上話やらを続けた。

一方、男は冷静だった。昨晩、光が直撃したときから、お金に対して無頓着になり、人が変わったようになっていた。

事務的に当選額を聞き、その受け取り方法を確かめると、それをメモしてもらった。そして、さらに翌日、大事に財布に入れたその宝くじ券を現金に換えて口座へ入金してもらった。

また、くじで当たった金額の一部で引っ越し業者を手配して、アパートを解約した。そのまま、旅行会社に行き、飛行機のチケットを取ると、その日の便に乗って、出てきた一軒家に戻った。

 

 少女が目を覚ますと額の赤い円は消えており、日が昇っていた。

どれだけの時間、砂浜に横たわっていたのかすら覚えていない。

とりあえず、髪についた砂を払うと、家に戻った。

妙にすがすがしい気分だったのでカモミールティを沸かして飲んだ。

ふと玄関の開く音が聞こえてきたので歩いていくと、

そこには出て行って行方も知らなかった父親の姿があった。

「おかえり」

「ただいま」

月明りによって寂しさや邪念が浄化されたのだろうか。

 

 僕が聞いた「不思議な話」はこれぐらいしかない。よくある話なのかもしれないが、これは少女が大人になってから僕に出会ったときに語ってくれたことだった。